【1000文字小説】冷たい空気

 外は凍てつく寒さで、ビルの窓ガラスは結露に覆われ、街灯の光がぼんやりと揺れていた。正吾は残業で冷えた手をこすりながらコートの襟を立て、重い足取りでオフィスビルを出た。靴底に張り付く霜のざらつきが、歩くたびに足の裏を冷たく突く。息を吐くと白い霧が瞬時に消え、吸い込む空気は氷の粒を含むように刺さる。今年の三月には長年勤めた会社を退職する。


駅までの道すがら、コンビニやファストフード店のネオンが冷たく光り、通り過ぎる若者の笑い声やスマートフォンの光が遠く感じられた。正吾は肩をすぼめ、吐く息を手で押さえながら歩く。胸の奥にぽっかり穴が開いたような虚しさが広がり、背筋に重くのしかかる。街の活気は届かず、触れることのできない世界のようだ。


アパートの廊下は古く、蛍光灯がちらつき、冷たい影が床に長く伸びていた。自室のドアを開けると、空気は外よりも厚く重く、指先にじんと冷気が染み込む。暖房は切られ、窓際のカーテンは閉じられているが、微かに隙間風が入り、寒さが背中にまとわりつく。妻は数年前に亡くなり、子供たちは遠方に暮らしている。夕食の茶碗には僅かな温もりも残らず、部屋の空気は静かに重い。


ソファに沈み込むと、床に響く外の風に揺れる木の枝の軋む音が、孤独を語りかけてくるように聞こえる。深く息を吸い、吐くたびに冷気が胸の奥まで入り込む。指先をコーヒーカップに触れると陶器の冷たさが骨まで染み、唇に当たる残り湯のぬるさがさらに虚無感を際立たせる。目の端で時計の秒針が刻む音を拾うたび、時間の重さが肩にずしりとのしかかる。


テレビをつけるが、ニュースやバラエティの音声は耳をかすめるだけで、画面の中の人々の動きや笑顔も遠く、届かない。手を動かしても、コーヒーをかき混ぜるだけで、それ以上の変化はない。呼吸を整えても、胸の空洞は埋まらず、体温も心の温もりも戻らない。


窓の外に目をやると、街灯に照らされた雪の結晶が舞い、通り過ぎる人影にきらめく。しかしその光景は、温かさではなく、孤独をさらに際立たせるだけだ。凍てついた一月下旬の夜。秒針の音、冷気の刺さる感触、微かな壁の軋み、コーヒーカップの冷たさ——それらが正吾を取り巻き、暖かさも救いもない現実を際立たせる。時間は淡々と過ぎ、孤独だけが確かに存在する。


正吾はただ座り、呼吸を繰り返す。息が胸を上下するたび、虚無感が体の隅々まで染み渡り、外の寒さと同じくらい冷たい世界に沈んでいく。


<1000文字小説目次>

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