【1000文字小説】世界が少しだけ傾いた日
その日、僕の部屋だけ世界から少し置いてけぼりを食らったように静かだった。いつもなら朝のニュース番組の騒がしい音声が隣の部屋から聞こえてくる時間なのに、今日は気配がまったくしなかった。窓の外の景色は見慣れたままで、特に変わった様子はないのに。
ベッドから起きて洗面所へ向かう。鏡に映る自分は、寝起き特有の少し気の抜けた顔。蛇口から飛び出した冷たい水で顔を洗い、タオルで拭きながら、この静けさが妙に気になった。隣の部屋の気配が、今日は不気味なほど消えている。耳を澄ませても、やっぱり何も聞こえない。
リビングに戻り、古いラジオのスイッチを入れる。普段ならすぐにニュースが流れるはずなのに、今日は「サー」「ガー」というノイズ音しか聞こえない。何度つまみを回しても同じだった。
「故障か」と呟き、スマートフォンを手に取る。ニュースアプリを開こうとしたそのとき、カタン、と小さな音がした。振り返ると、壁に掛けた額縁が、ほんの少しだけ傾いている。大したことのない出来事なのに、この静けさの中では、世界のバランスを崩しているかのように感じられた。
僕は額縁をまっすぐに直す。すると、ラジオからニュースの声がいつも通り流れ、隣の部屋からも日常の音が戻ってきた。額縁の傾きが、世界を元に戻したのではなく、僕自身の心が動いたことで、日常がいつも通りに感じられるようになったのだと気づく。
改めて額縁を見る。特別な絵ではない、ただのポストカード。けれど、日常はこんな些細な出来事に左右される、僕の心の感覚で成り立っているのかもしれない。
トーストを焼く香ばしい匂いがキッチンに広がる。僕は軽く息を吐いた。世界は今日も、ちゃんとまっすぐ立っている。そして、僕の目に映る景色は、少しだけ色鮮やかになったように思えた。